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■ラジオ番組"La LiBéLuLa"でのインタビュー、Podcast配信中!


 スペイン国営放送ラジオ局RNEの番組
  "La LiBéLuLa"
  (Radio3、月~金・0:00~1:00)で、
  2009年10月13日に(←つい先日!)、
 放送されたレオのインタビュー
 (スペイン語、約20分)が
 Podcastで配信中!

アルバム"DA BOCA PRA FORA"から、
レオ自身による曲の紹介が聴けます。
短いコメントながら、曲を味わうのに良いヒントも?

紹介された曲はこちら↓ レオの出番は、28'55''~からです。
 Da Boca Pra Fora
 Primeiro Amor
 Um Segundo No Infinito
 Saúde
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■NHK WORLDインタビュー日本語訳

 NHK WORLDポルトガル語放送
  PONTO DE ENCONTRO

http://www.nhk.or.jp/nhkworld/portuguese/top/index.html


過去(7月27日付)記事でもお知らせした、上記番組(7月26日放送)でのレオ・ミナックスのインタビュー、訳文を掲載します。
来日中の貴重なレオの「声」を、どうぞ文字でたどってみて下さい!
〔訳掲載にあたり、NHK WORLD・ポルトガル語班よりご承諾を頂きました。
誠にありがとうございました。〕
<注>8月1日にてインタビューのネット配信は終了しました。

インタビュー中のLeo Minax(2009/7/18)
photo by marikinha
インタビュアー(マキコ):
今日ここにお迎えしているのは作曲家/歌手/ギタリストのレオ・ミナックスさん、スペインに根付いて活動されていて、この7月に東京、名古屋を含む日本ツアーで来日されています。日本に来ることになったいきさつを話してくれませんか。

レオ: ある偶然の結果だったんだけど、ここ数年インターネットを通して自分の音楽を広める方法を探っていたんだ。今日、有名でよく知られたアーティストでさえ、(プロモーションのために)自分のディスコグラフィーにだけ頼ってはいられないという状況がある。そんなわけで、スペインとブラジルにいるプロデューサーと一緒に取り組んできて、僕の音楽が少しずつ他の人々に届くようになってきた。それで、日本にも僕の音楽が届いて、ツアーができるようになったというわけなんだ。インターネットを使った宣伝と、信用できる人々との出会いのおかげだよ。

マキコ: 既にいくつかの街で演奏されましたが、日本でのブラジル文化の受け入られ方についてどう思いますか。

レオ: 日本ではブラジル音楽はとても賞賛されているし、尊敬と知識を持って見てくれていて、特別に恵まれていると感じている。僕の知っている、僕が演奏したことのある他の国々、例えば、イタリア、アイルランド、この9月に再訪するメキシコ、米国などではこういった状況には本当に出会えなかった。日本の人々の音楽を聴く教養については前から知っていたけど、本当に驚いたのは、ブラジル音楽に対する知識の深さだ。日本に来て演奏し、実際にそのように感じるんだけど、(ブラジル音楽に対して)日本には開かれたコミュニケーションのパイプがある。人々が知ったり、想像したりできる、何か細部というかコードを持ったコミュニケーションで、これは他の国では感じたことのないものだよ。

マキコ: 日本の反対側に住んでいるあなたが、どうしてそのような分析に至ったんですか。

レオ: 分析を始めたところだよ。たぶん、ミナス・ジェライスの文化は保守的だという事実から来ているかもしれない。特にミナスの音楽との関わりについて言うと、(日本には)他の国にはないある種のつながりがあると思う。例えば、スペインにはミナスの音楽についての知識やつながりはない。自分自身に問うんだけど、おそらく、ミナス音楽の特徴である、より保守的で、内向的で、閉じている、と同時に、何かを超越するような、深遠な、音楽やメロディーの構造、抑制された感情の爆発といったようなものが、ミナスのアーティストたちにはある。少なくとも、僕がミナスで音楽家として形作られていた時期、感情的には抑制されたやり方で自分の音楽性を発展させてきた。たぶん、そんな自分のアイデンティティーの特徴から日本人についての印象を持ったのかもしれないと思うんだ。よくはわからないんだけど、何しろおとといから考え始めたばかりで(笑)僕にとっては新しいことだから。ミナス人としてそう考えているんだよ。

マキコ: 日本には初めて来ましたか。

レオ: そう!初めてなんだけど、既に日本に恋してしまっているよ(笑)。最近(日本で)何が起こっているかということについて思うんだけど、おそらく、日本の伝統、保守的で抑制の効いた感情的な表現が壊れかかっているんじゃないだろうか。というのも、日本の古い美しい伝統、美しいミニマリズム、例えば芸術や料理の観点でも、感情を表現する美しいミニマリズムはとっても魅力的で、このような面は常に存在しているけど、それだけが日本の魅力なのではなく、別の面が僕をとても惹きつけるんだ。クレージーな若者の世代がその伝統の破壊を助長していると思う。友人のマリコと話していたんだけど、髪を銀色に染めて、ミニ・スカートをはいて、足をむき出しにした女の子を見かけた時、「見て!僕は彼女のファンになっちゃう!」と言ったんだけど(笑)、彼女のスタイルはちょっと変わってるってマリコは言うんだ(笑)<訳者註>、でもこれが日本なんだ。海外で、例えば僕の住むスペインでも日本を魅力的に感じる人がいるのはこういう別の一面があるからなんだよ。
<訳者註>いわゆるヤマンバ系ギャルちゃんを見かけたのでした(笑)

マキコ: また来日されることを期待しています。ありがとうございました。

レオ: ありがとう、マキコ。感謝します。

取材・インタビュー:亀倉牧子(敬称略)
日本語訳:marikinha

■NHK WORLDでインタビュー配信中!


インタビュー中のLeo Minax(2009/7/18)
photo by marikinha
 !!!緊急告知!!!



NHK WORLDポルトガル語放送
「PONTO DE ENCONTRO」

(7/26放送)にて
レオのインタビュー(ポルトガル語)
ネット配信中
です。
<注>8月1日にて配信は終了しました。

東京公演(プラッサ・オンゼ)2days終了後
の深夜にもかかわらず、
元ジャーナリスト志望の血が騒ぐのか(?)
「インタビューされるのは好きなんだ」と
熱心に答える姿が印象的でした。

来日中のレオの肉声が聞ける貴重な機会、配信期間限定(放送日から1週間)のため、どうぞお聞き逃しなく!

■Part.6(Final)-Message from LEO MINAX


INTERVIEW - Part.6(Final)

Message from LEO MINAX



日本について持っている印象を話してもらえませんか。

日本へ行くのは今回が初めてだから、これは訪れる前の印象なんだけど、第一に、僕は日本の古い伝統を尊敬しているよ。日本の情緒ある、厳かな雰囲気が好きなんだ。同時に、日本が創り流行させているもの、日本の着こなし方、たたずまい、テクノロジーなど、創造的で何かを超越するようなアヴァンギャルドな面も好きなんだ。第三に、日本の精神性、仏教の哲学にとても興味を持っているよ。第四には、日本料理。もう僕は離れられないほど好きなんだ!マドリードは海の幸が豊富だから良い日本料理が食べられるんだよ。その他、黒澤明、北野武、「千尋の旅」(「千と千尋の神隠し」)、坂本龍一などなど。日本へ行く前に村上春樹も読みたいな。

Live solo(Belo Horizonte, 2007)
photo by Pedro Morais

日本であなたに興味を持っている、そして、ライヴへ来ようとしている人々へメッセージをお願いします。



日本という国、そして、
日本の方々を知ることができるという、
測り知れないほどの
大きな喜びを抱えて日本に行きます!
よく冷えたサッポロ・ビールで(笑)
7月の暑さと戦えますように!
僕の歌をたくさん演奏して、
皆さんと共に、人生と音楽を楽しみ、
そして、祝いたいと思っています!





All photos from archive of Leo Minax

Part.5(前)へ                              <おわり>

■Part.5-僕の音楽について(その2)


INTERVIEW - Part.5

僕の音楽について(その2)


前作の“AULANALUA”に引き続き、最新作“DA BOCA PRA FORA”でもバンドと一緒に音を作っていますが、どんな動機があったんですか。

Live "DA BOCA PRA FORA" (Madrid, 2009/5/26)
(左より)
Huma (g)、 Leo (g,vo)、 Borja Barrueta (drums)、 Martín Leiton (bass)
photo by Ale Megale
バンドなしで録音した唯一のアルバムは“STEREO13”で、他の4枚は各々異なったバンドでライヴ・レコーディングしたよ。“STEREO13”は録音のやり方を変えてみようと決めてやったからライヴ・レコーディングはしなかったんだ。後になって、“STEREO13”の歌を演奏するためにバンドを組んで、引き続いて“AULANALUA”の録音をすることになって、リハーサルやライヴでバンドの音を追求することに繋がっていったんだよ。“AULANALUA”はあの当時に僕らが演奏し捜し求めていたものが自然に表れた結果なんだ。“DA BOCA PRA FORA”は同じ核を持ったバンドでサウンドを追求したひとつの足跡。今回はよりざらざらした手触りの、原初的な音になったよ。この2つの作品は同じバンドでも僕には異なったサウンドなんだ。僕はこのバンドでサウンドを追求すること、そして、以前には得ることができなかった今の成果を気に入ってるよ。

その反面、ソロ(ヴォーカル&ギター)でもよく演奏していますよね。ソロでの演奏をどのように考えていますか。

僕は歌をとっても重要に考えている。歌を作る時は、大抵は曲からできるんだけど、頭の中でベース、ドラム、コーラス、エレクトリック・ギターに置き換えて考えているんだよ。バンドと一緒に演奏する場合、たとえアレンジは後から各メンバーの貢献によって出来上がるにしても、それはまた僕がいつも期待していることだけど、そもそも歌というのはそれ自体で自律した構造を持っているんだ。楽曲の基本的な要素は、ソロであっても、バンドであっても、ほとんど同じなんだ。
Live solo(Belo Horizonte, 2007)
photo by Pedro Morais
僕はソロというシンプルな形態で演奏する時でも曲の豊かさが表れるように努力しているよ。僕のアルバムの曲を何回も聴いている人が、同じ歌を僕がヴォーカルとギターだけで演奏するのを聴いて驚いても構わない。大概は楽曲に負うところではあるけど、でも、音楽のより大切な細部をわかってくれる人なら、ソロでの演奏でも同じ細部を捉えてくれるに違いないって僕は確信しているんだ。

バンドで演奏するのはもちろん刺激的で楽しいよ!その上に僕は自由に表現するのが好きだからね。ポップ・ミュージックの世界でありがちなことだけど、僕にとっては、同じやり方で表現された歌を再演するなんてすごく難しいこと。その意味で、意外な驚きを産み出し、歌を再創造できるバンドでの演奏はとても刺激的なんだ。独りで演奏する時はそういった遊びができにくくなってしまうけど、独りでの演奏も楽しんでるよ!音楽というのは常に生きてるものだからね!

アルバム“AULANALUA”にはレコーディング風景を撮影したDVDがついてましたし、“DA BOCA PRA FORA”でもまた、メイキング映像やヴィデオ・クリップを作り始めていますよね。ヴィジュアル物を作ることにとても興味を持っているように見えますが。

(左より) Borja, Leo, Huma
- Da Boca Pra Foraレコーディングにて(2007)
frame Making of Marinho Antunes
ヴィデオについては2つの点があるんだ。1つにはアルバム・レコーディング時のドキュメンタリーとして記録しておきたいという点。僕らがどんなふうに、どこで録音しているか、ミュージシャンたちの表情、制作に関わっている人たちがどんなふうで、何を考えているのか、等々、人々に少しでも見てもらえるのはとっても大事なことだと思うんだ。
もう1つの点はヴィデオ・クリップとしてということ。僕はこの表現手段をとても重要に思い始めているんだ。なぜなら僕の歌で歌詞がだんだんと重要になってきたからね。歌詞はヴィデオ・クリップの力を借りてさらに良くなるものだよ!新譜“DA BOCA PRA FORA”では、好奇心から初めてヴィデオ・クリップを作ったんだ。このアルバムの題名は、僕の「表現したい」という欲求を言葉に起こして名づけたものなんだ。僕は、僕の幅広い表現を可能にするどんな形式も拒まないということだよ!未公開クリップがあるので、日本へ行く前にお披露目するつもりだよ。

あなたの初期の3枚のアルバム(*)が入手困難なようなのですが、再発する計画はありますか。
(*)BONITO DE ESCUTAR、SOL NO BREU、STEREO13

もちろん!たくさんの愛情を込めて、すべてのアルバムを僕のレーベル、AULANALUA RECORDSから出したいよ。iTunes Music Storeにもすべてのアルバムを置きたくて、既に交渉を始めているところだよ。

Part.4(前)へ                        Part.6(Final)(次)へ

■Part.4-僕の音楽について(その1)


INTERVIEW - Part.4

僕の音楽について(その1)


あなたの作品にはミナス的な音楽性が表れていると思うのですが、自身ではどう捉えていますか。

もちろんその通りだよ!スペインに着いたとき僕はマドリードで唯一のミナス・ジェライス出身のシンガーだった。仲間は僕をレオ・ヂ・ミナスと呼んでいたんだ。それで僕の名前はレオ・ミナスになり、後になってレオ・ミナックスになったんだよ。アーティスト・ネームのために良いと思ってちょっと変えたんだ。僕が表現する音楽に僕の出身を物語る面があることを人々が見抜いていると知って嬉しいよ。素性が表れるのを拒むことはできないからね!

あなたの音楽は、楽器だけでなく、ヴォーカル(コーラス)によって産み出されるハーモニーがすごく美しくて、ヴォーカル・アレンジにとても気を配っているのを感じるのですが。

それはまた僕がミネイロ(ミナス人)だからだよ!僕はコーラスが好きで、以前から歌をヴォーカルで満たす傾向があるんだ。少年時代、ブラジルのグループ、ボカ・リヴリを聴いていたよ。彼らのヴォーカル・アレンジが大好きだったんだ。後になって、ビートルズやビーチ・ボーイズのアレンジを注意深く聴くようになった。僕にはコーラスなしに歌を考えることはできないね!コーラスに参加して、いつも歌っては感動していたものだよ。小学校に入って以来、セミ・プロフェッショナルなコーラスの経験もいくつかあるし、アメリカ人歌手たちが歌うのを聴くためにプロテスタント派教会の礼拝に行くことまでしたよ。友人が僕に改宗してほしくて招待してくれたんだけど、実際は歌を聴くためだけに行ったんだけどね(笑)。演奏はとても感動的だったよ。でも、僕は自分の歌をヴォーカルで満たし過ぎないよう大きな努力をしなきゃいけない。過剰にコーラスを置くと歌の内容が弱まることがあるからね。このことは歌詞が僕の歌で重要になるにつれて学んでいることなんだ。新譜の“DA BOCA PRA FORA”でもそのことにかなり気を配ったつもりだよ。

3枚目のアルバム“STEREO13”以降ずっとスーソ・サイスがアルバムをプロデュースしていますね。彼のどのような面に信頼を寄せているのでしょうか。

Suso Saiz - Da Boca Pra Foraレコーディングにて(2007)
frame Making of Marinho Antunes
スーソ・サイスは正統的な音楽教育を受けた音楽家で、現代音楽の勉強と演奏もしていた。スーソは例えばジョン・ケージのような偉大な現代音楽家の傍らにいたこともあるんだ。スーソは一所に安住することがない、陳腐な表現からは「敵」といえるような音楽家だよ。スペインでは多くの人が彼が何を考えてるのか理解できないんだ!スーソの、プロデューサーとしての激しさが僕を魅了するんだよ。

激しさ…例えば、どのようなことですか。

以前の僕にとって難しかったのは、少ない要素で、不完全な所の修正をしないで、つまり「お化粧」なしで音楽制作に向かうことだった。多重録音はいろいろな面で欠点を隠してくれるからね。スーソと仕事を始めた当初は自然に録音された欠点だらけの僕のヴォーカルとギターを聴くのがイヤでね。でも少しずつ、「less is more」という考え方の価値や、楽器で埋め尽くそうとする僕の傾向を制限するというコンセプトがわかってきたんだ。スーソは「完璧は美しくない」とよく言っていた。とても良い、理論的で、明白な、音楽以外のことにも応用できる考えだと思うよ。最近では、自然な不完全さは歓迎すべきことで、録音時のアーティストの感情を伝えるものだと思うに至っている。スーソは例えばいいテイクを取ろうとしたり、アレンジをより美しくしようと楽器を加えるときラジカルなんだ。時には大論争の後、僕自身で行った演奏を消したこともあるけど、スーソの基準にはめたわけではないよ。僕にとってスーソとの修練の経験はすべてとても重要だったんだ。

彼は僕の人生の長い間に渡って、いつも選択すべき道を示してくれるとっても知的な音楽家だよ。スーソの存在が、商業主義に依存しない作品を制作するLeo & Suso Saiz(Madrid、2008)
photo by Meky Nuñez
ための基準になることは確かなことだよ。スーソは商業主義が優先される風潮がある中、深みある心のこもった音楽表現を取り戻そうとしてるんだ。彼からはまた、自分の作品から距離を置くこと、言い換えると、僕の作品は僕のものではないことを学んだんだ。美しい考えだと思わない?スーソの、ほとんど東洋的もしくは仏教的といえるようなこんな面が何度も僕を引きつけるんだ。彼の博識は音楽の枠を純粋に超えている。彼は僕の師匠であると同時に、とっても仲のいい友人だよ!

Part.3(前)へ                              Part5.(次)へ

■Part.3-マドリード


INTERVIEW - Part.3

マドリード


スペインに住むという決心にどのように辿りついたんですか。

スペインに住もうと決心したわけではなくて、いつ戻るかわからないけどある期間ブラジルから出ようと決めたんだ。世界を旅し、違う場所や文化を知りたいといつも夢見ていたから、純粋に不安と好奇心とでブラジルを離れたんだ。また今になって分かるんだけど、僕は自分自身を見つけたかったんだと思う。僕は1986年にまずマドリードに来て、そのすぐ後に約1年パリに住んで、当時そこで同郷(ブラジル)人がやっていたように、音楽で生きて行こうと試してみた。僕には音楽性があると信じていたから、ミュージシャンとしての自分の可能性を決して疑ったことはなかったよ。だけど、音楽でお金を稼いで生きていくには経験が必要だと、当時の僕にはまだその準備ができていないと悟ったんだ。

Grupo Carnaval Brasil(1989年頃)
(中)Leo 「揃いの服がイイでしょう?(笑)」
冒険はお終いにしてブラジルに帰ろうと決めて、その途中にマドリードに再びやって来たんだけど、すぐにブラジル音楽で働くチャンスを得られたんだ。サンバのグループに打楽器で参加しないかと誘われたこのきっかけが僕の知らなかったブラジル音楽との普遍的な接点、音楽で生きて行く方法を僕に示してくれた。もちろん、サンバはいつも僕のブラジル的日常の一部で、避けようとしたって無理なものではあったんだけど、僕が持っていた知識は表面的なもので、この時まで見失っていたんだとわかったんだ。僕は音楽家になって、音楽で生きて行きたかった。この時から僕のブラジル音楽との関係が変わったんだ。後になってさらにプロフェッショナルなサンバ・グループで演奏して、彼らと一緒にギターを演奏し始めた時は嬉しかったよ。ブラジルでドラマーになろうとした時のことがサンバの打楽器を演奏するのに役立った。こんなふうに少しずつ事がうまく行くようになったんだ。

その後の仕事は順調でしたか。

Hotel Barajasにて(1988年頃)
いろいろな演奏の仕事をしていたよ。ブラジル音楽を演奏するというと、どこの国や街でも同じことなんだろうけど、一般的に期待されるのは踊るための音楽なんだ。リオ・デ・ジャネイロ出身のサンビスタ達とのグループではスペインをあちこち旅したね。ライヴ・ハウスで演奏していた時は、お客さんを踊らせようと思って用意した曲でみんな座り出しちゃってね、悲しかったよ(笑)それでレパートリーを変えてSKANKを演奏してみたらすごくウケて踊ってくれて嬉しかったなぁ。その他、ジャズ・クラブやホテルのラウンジでとか、あの頃いろいろな音楽を演奏して沢山の経験を積んだことは、今の自分にすごく役立っているよ。

スペインあるいはヨーロッパに住むことがあなたにどんな影響を与えましたか。

音楽的なというよりも、それ以外の部分で僕の思考に影響を与えたと思う。というのも、音楽性というのは音楽家に備わったものでそう変わるものではないと考えているんだ。イベリア半島に住んでいつも感じていたのは、世界中で起こっていることのすぐ隣に僕はいるということ。ブラジルにいたらヨーロッパで得られるような音楽情報は得られなかった、といつも思っていた。僕はヨーロッパで世界全体の中にいたと言える。それは素晴らしいことだったよ!後にインターネットによってこの状況は少し変わったけどね。僕の音楽をやるためにスペインに住むことの重要性は、フラメンコなど代表的なスペインの音楽から受けた影響を考えるよりも、アフリカやアメリカ、またオリエンタルなど、他の音楽の表現を間近に知ることができたことの方にある。これはブラジルにいたらできないことだよ!

Part.2(前)へ                         Part4.(次)へ

■Part.2-僕を魅了した音楽家たち


INTERVIEW - Part.2

僕を魅了した音楽家たち


あなたの音楽は、ロック、ポップス、ジャズ、ボサ・ノヴァ、サンバ、MPB、ミナスの音楽など、いろいろなジャンルが豊かに混ざり合っています。どんな音楽家が好きですか。彼らからどんな影響を受けましたか。

Beto Guedes/
Sol de Primavera(1980)
「すごく好きだったのはベト・ゲヂス」
少年時代、ミナス・ジェライスのたくさんの音楽を聴いたんだ。疑いなく言えるのは、クルビ・ダ・エスキーナの数々の歌が何より僕を魅了したこと。僕がすごく好きで最もよく聴いていたのは、シンプルで独特な音楽のベト・ゲヂス。彼の歌の作り方はとっても美しかったし、また、普通でない音色を用いて実験する自由さと大胆さがあった。彼はいろいろな楽器で演奏したり実験したりするのが好きだったからね。彼の初期のアルバムはどこか混沌としたところがあるけど、繊細さと独創性がとてもあった。彼はまた、ジェネシスとかイエスとか、僕もとても好きだったイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループの影響をとても受けていたんだ。僕は特にピ-ター・ガブリエルとフィル・コリンズのファンだったんだ。

その後少しして、トニーニョ・オルタ、ロー・ボルジェス、タヴィーニョ・モウラ…さらにその後、ミルトン・ナシメントの精緻な音楽の深遠さに初めて出会った。この頃はまだカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、シコ・ブアルキといったMPBの偉大なアーティストにはそれほど関心がない時期だった。ミナスの外側で作られたMPBに興味を持つ以前に、クルビ・ダ・エスキーナの音楽をよく聴いていたんだ。

Ralph Towner/
Solstice(1975)
「穴が開くほど聴いた盤だよ」
さっき話したように、少年時代にボサ・ノヴァの深い部分に最初に接したのは友人のジェラウド・マゲーラを通してだったにしても、僕が代表的なブラジル音楽に深く触れ、本当に知ったといえるのは、プロの音楽家として人生を歩み始めた外国でなんだ。ジョビンやジョアン・ジルベルトなどボサ・ノヴァの偉大さに本当の意味で出会い、その後に、カエターノやシコなどMPBの素晴らしさと歌が持つ力強さに出会ったんだ。

アマチュア時代、インストゥルメンタル音楽もとても好きだった。エグベルト・ジスモンチ、ラルフ・タウナー、ヤン・ガルバレク…少年時代、いつか彼らのように演奏できたらと夢見たものだよ。有名なドイツの魅惑的なレーベル、ECMを探求し始めて、たくさん買っては聴いていたんだ。まさに徹底的な体験といえるくらいの関心を持って聴いていたね。インストゥルメンタルをよく聴いていたこの時期は僕の人生でとっても大切なものだよ。トニーニョ・オルタは他のToninho Horta/
Toninho Horta(1980)
「この盤と”Diamond Land”は
特に愛聴してた」
クルビ・ダ・エスキーナのメンバーとは違う音楽家で、というのも、インストゥルメンタル音楽について僕が持っていた私的な世界観の中で彼のことを見ていたからなんだ。僕にとってはトニーニョ・オルタはECMカタログの一部分に成りえるくらいの存在なんだ。

小さい頃には、曲作り、メロディーとハーモニー、その歌声で、イヴァン・リンスの音楽にも魅了されたこともとにかく覚えているよ。その後の少年時代、影響を受けた2人のブラジル人アーティストとして、ジャヴァンとジョアン・ボスコがいる。この2人は歌におけるリズムの豊かさを僕に示してくれた。リズムは、尽きることのない何物かであること、歌の中でリズムと戯れること、そして楽しいものだということを学ばせてくれたとても重要なアーティストだ。

Part.1(前)へ                           Part.3(次)へ

■Part.1-僕の音楽生活 in Belo Horizonte


INTERVIEW - Part.1

僕の音楽生活 in Belo Horizonte


幼い頃や少年時代はどんなふうに音楽と親しんでいましたか。

James Taylor(1969)
「父がこの盤を聴かせてくれたんだ」
小さな頃からずっと音楽を楽しんでたよ!子供の頃で良く覚えているのは、よく知られた歌のタイトルや歌詞を思い出したい人のために、よくギターでメロディーを弾いたり歌ったりして再現する遊びをしていたんだ。あらゆる種類の音楽を聴いていたなぁ。母はよく家できれいな音程のいい声で歌っていたし、父はクラシック音楽がとても好きで、まだ幼い子供たちを集めては好きなレコードを聴かせていたんだ。父はまたアメリカのポピュラー音楽も好きだった。よく覚えているんだけど、一番最初に聴いたのは父が聴かせてくれたジェイムス・テイラーで、僕は彼のファンになったんだ。ニール・ダイヤモンドもよく聴いてたよ。父が彼の大ファンで彼のレコードはみんな持っていたからね。

楽器はどんなふうに覚えたんですか。

ギター、ヴァイオリン、ピアノ、歌、ドラムなど様々な楽器を、いろいろな時期にいろいろな学校で習ったんだ。でもその当時は、さらに長い時間をかけてアカデミックに修業することにそれほど興味がわかなかった。もちろん長い目で見れば有益なことだとはわかっていたけどね。Grupo Cânfora(1982) (左)Guto Almeida (中)Leo
それよりも、音楽を聴くこと、そしてすぐ演奏してみるということがいつも僕を音楽に向かわせていたんだ。秩序立った方法ではなかったけれど、小さな頃から青年時代にいろいろな楽器に触れていたことは楽器を身近にしてくれた。より真剣にギターに興味を持ち始めたとき、プロの音楽家を父に持つ友人のジェラウド・マゲーラがまったく新しい世界を教えてくれた。洗練されたギターのビート(バチーダ)とボサ・ノヴァのハーモニーに接したんだ。彼は素晴らしいお手本になってくれたよ。こんなふうに、この頃の楽器への取組みは正式ばったものではなくて、ヨーロッパに移ってから、系列だって理論や即興演奏を勉強したんだ。

その後、バンドを組んだんですよね。

Grupo de Solange Borges(1982)
(上)Nico Borges
(中左より)Guto Almeida, Noquinha, Leo
(手前)Solange Borges

大親友のマルセロ・サルキスと一緒にバンド、「カンフォラ」を結成したんだ。僕はギター担当で、多くのフェスティバルや自分たちで企画したショウに出演していたよ。始めは、僕と一部のメンバーが住んでいた地区で練習していたんだけど、後に、マルセロの兄弟が住んでいたサンタ・テレーザ地区の家で練習できるようになって、それがボルジェス・ファミリーの家の前だったんだ。これが僕の歩んできた道のりの中でとても重要な時だった。僕らはソランジ・ボルジェスと一緒に演奏しないかと誘われたんだ。スタジオ録音という初めての経験をしたのも、ロー・ボルジェスやテロ・ボルジェス、クルビ・ダ・エスキーナの中でも重要なこの素晴らしい音楽一家の人たちと知り合ったのも、この頃だよ。でも、ソランジのバンドとしての活動は長くは続かなかった。僕らは2つのバンドを何とか両立させていこうとしたけど結局うまくいかなかったんだ。ソランジのバンドではドラムス担当だったんだけど、僕はプロのドラマーとしてはやっていきたくなかったということもその時はっきりわかったことだね。

                                                                     Part.2(次)へ

■スペインの国営放送ラジオ局RNEより

Podcastで配信中!
スペインの国営放送ラジオ局RNEの番組
("Asuntos Propios"月~金・16:00~19:00)に、
2008年8月11日、レオが出演した時の模様がPodcastで配信中です。

インタヴューはもちろん、
レオはガット・ギターを持ち込んで生で(ao vivo)弾き語りも披露!

最近のレオのレパートリーではなかなか聴けない、
ボサ・ノヴァ・スタンダードの「Desafinado」の他、
「Causa E Efeito」のホルヘ・ドレクスレル・ヴァージョンも聴きどころです。

00'20'' Aulanalua(ao vivo)
08'08'' Causa E Efeito  ※Jorge Drexler「SEA」より
11'29'' Da Boca Pra Fora(ao vivo)
15'00'' Desafinado(ao vivo)
19'10'' Do Bão(ao vivo)

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